前のblogでは、書きたいと思いつつ
未だ2回しか書いてなかった「反脱オタ」について書いていこうかと思います。
とはいえ、状況が刻一刻と変わり
以前書こうとしたことは随分時代遅れになった訳で・・・(というか脱オタに関する議論も既に賞味期限切れのような・・・)
そんな中でも、当時最も主張したかった

「たとえ脱オタに欠点があるとしても、それをカバーする長所もある。
しかし決定的な問題点は、多数のオタクからすると脱オタはそれが約束したはずの恩恵をもたらしていない。
それは、脱オタに関するプログラムが、各人の個人差や置かれている環境などを考慮せず、
普遍的であるとするモデルで処方箋を書いてしまうことに起因する」

という主張は変えなくていいと個人的には思います。
その上で

「オタクが各々置かれている社会的ネットワークの中で、どのように行動するか。
要するに、オタクを取り巻く環境と、それを形作る諸条件の変化。
これに対してオタクはここの事情、感情、理論・・・等
諸々の条件によって異なる対応を迫られている」

ということは言えそうです。
が、多くのオタクはこの点について広く認知しているように見えます。

・オタクによるオタクの利益の為の政治への関与
脱オタによるマジョリティへの迎合
オタク文化の一般への啓蒙
・その他

等のここの活動から見ても明らかなように見えます。
しかし、依然としてオタクを取り巻く環境は悪く、又、悪化している様にも感じます。
ということは、何をしても所詮無駄だということでしょうか。
無駄とまでは行かずとも、方法がひどく間違っているのでしょうか。
この状況に、

1.反抗する
2.肯定する
3.無関心である、何もしない

以外の選択肢が存在するというのでしょうか。
まずは、この3つの選択肢について考えてみることにしましょう。

1.反抗する
どうやら現在、オタクは、政治的、経済的、社会的、精神的に、マジョリティから抑圧、迫害された存在といえそうです。
マイノリティの第一義は、数が少ないということですが。
オタクの様に相当数を擁しながら「少数」であることも多々あります。(オタクの定義にもよる)
確立した文化を持たない、政治力・経済力が不足している、社会的な立場が強固でない
等が理由として挙げられます。
宗教や言語も大きなりゆうになります。
そしていずれの場合もマジョリティに対して弱い立場に立たざるを得ません。
多数グループからの迫害、圧迫あるいは黙殺といった苦難を
経験したことをない少数グループは皆無かもしれません。
しかし、異質であること、独自であることは、それ自体が価値があることと言えます。
したがって、これを維持・発展させるために。かつ、先ほど述べた圧迫・迫害・黙殺から逃れるために
これに反抗する、という選択肢が存在します。
考えうる限りでは、3つの方法があると思います。

A.革命、政治活動
初っ端から過激ですが、
革命は体制変動の一形態であり第一義的には、反乱、クーデター、組織的暴力 等の非合法手段が一般的ですが。
最広義には、選挙、宣伝、サボタージュストライキなどによる合法活動も含まれます。
また、革命にはイデオロギー操作、カリスマ的・英雄的リーダーの必要性、
物理的リソースの調達と活用、戦術、革命の合法化・・・等々の幾多の困難が待ち受けていますが
そのデメリットを吹き飛ばす、大きなメリットがあります。
一方オタクとしての権利のみ主張するならば、合法的な政治活動による政府への働きかけ、
あるいは、選挙による政権奪取のみとなり、革命よりはハードルは幾分低いと言えます(十分高いですが)

B.独立
Aより一歩深化させたのが、独立であるといえます。
マジョリティのみならず日本から独立することになるので、
ありとあらゆるカントリーリスクを軽減(というかゼロにする)
オタクの自由、権利は完全に保障される事でしょう(多分)
しかし、新たなカントリーリスクの発生、新たなマジョリティ・マイノリティの発生は避けることは難しく。
それ以前に独立自体、革命より困難であるといえるかもしれません。

C.外見だけ脱オタ
簡単に言うと、マジョリティに紛れ込むことによって、オタクの存在を消し去ります。
これには犯罪を抑止する活動などして徹底的にオタクの存在を消し去ることが条件となります。
一番現実的ですが効果は薄いというか、追随しない人は結局迫害されることになります。
また、ずっとこの状況を維持という訳には行きませんので、状況を劇的に変える次の一手がどうしても要求されます。

2.肯定する
実は俺自身肯定する事はあまり考えてません。
簡単に書くと多数グループの側に移動する事によって、オタクコミュニティからの完全分離を目指す。
あるいは、現在の状況を肯定するということですから、新天地を探して、そこに移動するということも考えられます。

A.海外移住
あくまで、日本国内でのオタクの居心地が悪いというだけなら、海外移住という手が考えられます。
言語の問題や、生活レベルの維持、
さらには世界へ散る訳ですから(1箇所に大量流入すると迫害を受ける可能性が高いと思います)
全世界に及ぶオタクネットワーク・地域ごとのオタクコミュニティの構築が課題と言えます。
これには、メリットもあります。
主に日本国内で生産され、主に日本国内で消費されていた文化が
海外の文化と融合、または海外文化の影響を受けることにより、オタク文化のいい意味での変質を期待できると思います。

B.脱オタ
これは、中身も外見も脱オタという、狭義の脱オタになります。
完全にオタ趣味を捨て去り、他ジャンルに完全に移行しマジョリティに完全に入り込むことを意味します。
他サイトで散々論じられているので、メリット・デメリットを書くことは特に無いでしょう。

3.無関心、何もしない
どうでしょう、これがもしかすると最良の選択肢かもしれません。
先ほど述べたように何をしても無駄、ということなら今できる(いつ消えてしまうかわからない)
オタ趣味を堪能して、状況が劇的に変化するまで何も考えない・何もしない、
というのも十分魅力的な選択肢と思います。
もしかしたら何もしない事で、状況が良い方向に転じるということも考えられます。

以上のように、3つの選択肢とそれに属するいくつかの選択肢を考えてきましたが、
既に一部のオタクは各々意思決定し、それに基づいて行動している状態にあります。
それらは、各々異なった方向に向いており

1.オタクがオタクというカテゴリー自体を消滅させる
2.オタクというカテゴリーがいくつかのカテゴリーに分裂する

この2ついずれかの状況に陥ることになると思います。
しかし、オタクという土台(共通する何か)
がしっかりしていれば、これを防ぐのは容易になるでしょう。
さて、先ほどから連呼している「オタク」とは何でしょうか、
というわけで、次回からは「オタクとは何か」について考えて行きたいと思います。